大学に行くメリットはなんだと思いますか? いろんなことを学びたいと思っているのですが、制約を受けるくらいなら一人で学びたいです
質問
この前の対談で学ぶこと自体は図書館でも独学でできるということが言われていましたが、読書猿さんが思う大学に行くメリットはなんだと思いますか? いろんなことを学びたいと思っているのですが、制約を受けるくらいなら一人で学びたいです 解答
大学は、あなたの知らない何かではなく、あなたが何を知らないかを教えるところである。
無知に気付く機会を与えるまでが大学の仕事だ。
それを引受け、コンテンツを充填し無知を埋めるのは、あなた自身がやらなくてはならない。
知りたいと思うことなら、人はいくらでも独力で学ぶ。また独力で学べないと結局何も身につかない。
しかし、そんな分野や知識が存在することをそもそも知らなければ、知りたいと思うこともできない。
自分が〈知っていること〉と〈考え得ること〉の限界を越えて、まだあることも知らない何かに人を気付かせるのは、他者からの不意打ちである。
自分がものを知らないという程度のことは、ほとんど誰でも知っている。
しかし、自分が知らないことが何なのか、具体的に突き止め追求し始めることは多くない。
何しろ知らないことは膨大にあり、分からないことは常態であって、日常の中では、それら未知なるものは背景に押しやられ、バックグラウンド・ノイズとして処理(キャンセル)される。
でなければ、日常生活が回っていかないからだ。
大学というコンテキスト(文脈)は、日常のコンテキストと異なる。
そこでは、何かを知らない/分からないことは、それをキャンセルする理由にならない。
あなたがまだ知らないのならば、大学はそれを学ぶ場所に他ならない。
大学の授業や講義は、特に緊急性も必要性も高くない知識を、背景(バックグラウンド)から引きずり出して、目の前に置く。
そのことで人が、己が無知と遭遇する場を用意する。
具体的に何をどんな風に知らないかに気付く機会を与える。
受講者の知識と知性にできるかぎり多くの穴ぼこを空け、なおも自己回復の気概を完全にはへし折らないのが、よい授業/講義である。
分かりやすいだけの授業/講義は、ほとんど何も残さず過ぎ去っていく。
受講者は、授業/講義からより多くの無知(知識の欠落)を拾い出し、その後の自己学習で補充する。
もちろんこれには時間がかかる。
参考資料へのレファレンスが適切で、受講者が調査リテラシーを一通り身につけていたとしても、おそらく授業/講義の3~4倍の時間が必要になる。